BLOG版ウチの失語くん

脳卒中になったからこそ、できること(2004年の思い出)

Posted on 2013年3月22日

2004年12月30日、
オットと私は石垣島の白保という集落にいました。
あてもなくダラダラ歩く、というのが我が家の旅スタイル(笑)なので
特に目的があったわけではないのですが、
私たちが好きなミュージシャンの新良幸人さんが、この白保出身で。
海辺で出会った地元の人が「幸人の実家は、そこよー」と教えてくれたので
どれどれ、と見に行ったところ、
家からお母さんが出てきて「まあ、あがって」という流れになり。
気がつくと、幸人さんの家のリビングにおりました。

幸人さんは不在でしたが
お父さんの新良幸永さんが三線を前に座っていました。
幸永さんは八重山古典民謡家で、三線の名手。
そのことはもちろん知っていたので、緊張して挨拶したところ
「病気をしてね。もう弾けないさ」と。

その半年ぐらい前に、幸永さんは脳卒中に見舞われ
左手が使えなくなってしまったのだそうです。
「でもね、することがあるのよ」
動く右手で三線をつま弾き
鉛筆に持ち替えて、工工四(三線の楽譜)に書き込んでいる。

八重山古典は、ほとんどが口伝で譜面が存在しないので
このままだと、いい曲がどんどん忘れられてしまう。
数年前から、きちんと書き残さなければと感じていた。
周りからも「一番よく知っている幸永の仕事よ」と言われていたけれど
演奏するほうが忙しく、また楽しくて
つい延ばし延ばしにしていた。

「だからねー、この病気になったのは
『いい加減、演奏はやめなさい』ってことなのよ。
神様か、ご先祖様が
『八重山の唄を書いて後世に伝えなさい。
それがお前の使命だ』って言ってるのよ。
そういうことだと思ってるよ」

きっと何か意味がある。
病気になったからこそ、できることがある。
去年の夏、同じ病気になったオットが
すぐにそう思えるようになったのは
そして、今もそう信じているのは
幸永さんに出会えたおかげです。

あのときオットは、
幸永さんの右手と三線、工工四の写真を撮らせていただき
mixiのプロフィール写真にしました。
今もそのまま残っています。
やはり何かご縁があったようで
ちょっと不思議な気持ちになります。

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