カタカナを読む(発症6カ月9日)
Posted on 2013年1月28日
土曜日の朝日新聞の別刷に載っていた
草間彌生さんの記事に興味を示したので
そのまま置いておいたところ
時間をかけて少しずつ目を通している模様。
今朝、片づけようとしたところ
「まだ読む」と。
「新聞を読もう」と思えるようになっただけで
かなりの進歩であります。
どのぐらい内容を把握しているのか、きいてみると
「だいたいこんなこと書いてあるんでしょ」と
大筋、間違ってないレベル。
理解できる漢字から、前後を想像しているので
たとえば
「ということも考えられないこともないだろう」のような
平仮名が多くて、こんがらがった文章だと
まるでお手上げです。
きょう発見したのは、カタカナも「読めて」いること。
「オークション」とか「パフォーマンス」とか
ちゃんとわかっているんですよ。
おおお、読めるようになったの?
試しに「オ」を指さして、これは?ときくと
オット「読めるわけないじゃん」(きっぱり)
どうやらカタカナの単語も、漢字と同じように
パターン認識してるようです。
「オークション」をひとかたまりの“模様”としてとらえて
オークションの“意味”と結びつけている、という感じ。
そういえば、リハビリ病院に入院中から
好きなF1関係の雑誌や新聞は、よくながめていたので
「シューマッハ」という模様をみると→アゴ
「アロンソ」という模様をみると→ヒゲ
と、ちゃんと頭に浮かんでいたのでしょう。
言わずもがなでございますが
カタカナは、普通の文章の中に“異質なもの”として
挟みこまれるときだけ、理解できるのであって
「サイタサイタサクラガサイタ」は
残念ながらまだ読めません。