気仙沼(発症7カ月22日)
Posted on 2013年3月10日
去年の7月、オットが脳出血で倒れた直後
医師からCT画像を見せられ「失語症になる」と聞かされたとき
東日本大震災の映像が頭に浮かびました。
脳の血管が切れて血が流れ出し、脳細胞を破壊して
47年間かけて築いた「言葉」を根こそぎ奪っていった。
まるで津波のようだ、と。
本人は当初、自分が何故しゃべれないのか理解できずにいましたが
津波を例にあげて説明したところ、感じるところがあったよう。
オットと私は2011年12月に気仙沼と陸前高田を訪ね
2012年3月には石巻から海岸線を気仙沼まで北上しています。
壊滅的な被害をうけた地域の人が諦めなければならないこと。
それでも立ち上がって一から始めなければならないこと。
その道は果てしなく遠いだろうこと。
ほんのわずかな滞在でしたが「空気感」として覚えています。
「被災地と同じだね。頑張ろう」と言うと
「うん」と決意したように頷きました。
オットは言語のリハビリを始めるとすぐに
ノートに「気仙沼」と何度も書きました。
入院中の洗濯物は、昨年5月に私が仲間と一緒に
気仙沼に行ったとき買ったトートバッグに入れて運びました。
そして今、週に2回電車に乗ってリハビリに行くときは
PASMOを気仙沼出身の友達からもらった
ポーチに入れて持っています。
来月、また私の仲間で気仙沼にいくツアーがあり
オットに「一緒に行ってみる?」と尋ねると
「行く」と力強く、即答しました。
がんばっぺし。
先は長いけれど、そう簡単にはいかないけれど。
がんばっぺし。一緒にがんばっぺし(^ ^)/